Rally Driver Takero Oda 織田岳郎

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2005/08/24 2001年パイクス・ピーク(1)

友人の田中さんが、これまた友人の稲垣さんが2001年に参加したパイクス・ピーク・ヒルクライムに付き合っていたのです。その観戦(?)記が発見されました。貴重な資料としてここに公開させていただきます。

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第79回 パイクス・ピーク・ヒルクライム 観戦記

6/29、
現地時間(以下同じ)
名古屋空港から2回の乗り継ぎを経て、18:10にコロラドスプリングスへ到着。トランジットの時間が短時間だったのと、飛行機が遅れるなどが重なり、心配していたように預けた荷物がでてこない。仕方が無いので、24:00までにはホテルへ届けてくれるよう、お願いして、早速レンタカーを借りる。延べ約13時間半の長いフライトだったのと、時差ぼけで足元が若干ふらついていた。

地図をもらって慣れない右側通行に戸惑いながら、ホテルまで到着。

 あらかじめ日本でレンタルしてきた携帯電話で稲垣さんに連絡をする。「夕食を食べるところなので、早く来い。」といわれ、通りの名前を確認しながら走行する。交差点で最前列に止まったところ、いきなり目の前で「ガチャン!!」と交通事故。少々ビビリながらも、何とか食事の前に合流。

 稲垣さん始め、スタッフの皆さんと顔を合わせながら、楽しく食事をする。薄暗い店内だったので、若干疲れているように見えましたが、日焼けした顔は
健康そうでした。 

 通訳の方が「観戦するんだったら、(山の)上のほうがいいでしょう。つづら折れになっているのが見える「デビルス・プレイ・グランド」っていう場所(標高3895m)があるから、そこが最高でしょ」とアドバイスをくれる。

 また、レース会場は相当、高地にあるので、「高山病予防にこれを飲んでおけ」、と稲垣氏が薬をくれました。チーフメカの大橋さんから「上では絶対はしゃいだら、いかんよ。死ぬかもしれんから」と注意を受けて「えっ、そんな大変な場所なの」と何となく思っていたのです。(これが間違いの元だった)
 
 木曜日の練習走行時にコースアウトした競技車両のドライバーが死亡した。と聞く

 「明日は3:00にホテルを出発する」ということで、翌朝いっしょに行かないとレース会場までの道順もわからない私は、食事後、稲垣チーム一行が投宿しているホテルまで、道順を確認しながら追走する。ホテルの駐車場にはトレーラーに乗せられた競技車両が駐車してありました。

 
22:00頃、自分のホテルに帰らなければなりません。街中は照明も少なく、疲れもあってか通りの名前も判断しにくく、自分の勘を頼りに車を走らせました。

 22:30頃、自分のホテルに到着するが、まだ荷物は来ず、あきらめて寝る。


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